大仰について


明和九年(一七七二)本居宣長は吉野の桜見で大仰の地を通られ美しい山川を賞賛し顕彰されました。

国学の大成者(古事記伝)本居宣長は、明和九年(一七七二)春三月(現在の四月七日)松阪を出発、初瀬街道を吉野へと桜見を志しいわゆる「菅笠日記」の旅につかれた。その四月七日が丁度本年よ り、ニニニ年前の今日でピッタリでしたので突然で恐縮でしたが、此の大仰の地を通過し、歌まで残してゆかれその様子が詳しく書かれていますので参考までに

−−田尻村といふ所より、ようよう山路にかかりて、谷戸大仰(タンドオホノキ)などいぷ里を過ぎゆく。ここまで道すがらところどころ桜の花ざかり也。立やすらひて見つつゆく。

「しぱしとてたちとまりてもとまりにし友こひしのぷ花のこの本」

大のき川大きなる川なり雲出川のかはかみとぞいふ。此の川のあなたにも、尚同じ里にて、家共立なみたり。さて川辺をのぼりゆくあたりのけしき、いとよし大きなるいはほども。山にも道のほとりにも。川の中にもいとおほくて所々に岩淵などのあるを見くだしたる。いとおそろし、かの吹黄刀自がよめりし、波多の横山のいはほといふは、万葉に「川上のゆつ岩村にこけむさずつねにもがもなとこおとめにて」此のわたりならんと。あがた居のうしのいはれしはげにさもあらんかし。鈴鹿にしもかの跡とてあるは。はやはやいつはりなりけり。このわたりゆく程は。雨もやみぬ・・・

このように大仰川を川下から上流までの景色、道路、川の状態までよく表規されています。また宣長の長男春庭も年老いて此の地を同じ様にに旅され

「老らくのこの道さえてとし高く たちさかえたる五百津岩村」
(寄岩祝い)春庭後鈴屋集

父宣長が神と祭られ、また長男と二人が同じ大仰の里を歌に残され、湯都盤村にふさわしい表現をなさいました。こんなことはどこにもない、大仰にとっては有難く永遠の歴史となり残ります。皆様は何と受け取られますか?

*注釈
◎「所々に岩淵などあるを見くだしたる」
これは私が七才の時祖母よりきかされたのですが大仰川は八つの瀬と八ッの淵からなる蛇行した皿形の川である。(漢籍によると盤盤でまがりまがりくねる。)でも現在は高野井堰が戦後蛇籠からコンクリートに改築されましたので水位が高くなり、井堰のすぐ上の瀬と権現淵のすぐ上の瀬が見えなくなり、また真盛上人伝にある宝珠丸が捨てられた盤渦も見えなくなりました。

次に
◎「あがた居のうしのいはれしは」
とは宣長の師・賀茂真淵のことで宣長と同じく、ゆつ岩村を大仰とされています。大仰の里のことが書かれていますので参考に

-−八太の里より其一里ばかり彼方にかいとうといふ村に横山あり、そこに大なる巌ども川辺にも多し是ならんとおぼゆ。飛鳥、藤原の宮などの比、斎王通行は此道なるべし、古人は言り猶考てん。

賀茂真淵は近江の賀茂神社の禰宜の家に生れ、万葉中心の研究者で著書に万葉考、国意考、祝詩考があります。

本居宣長、賀茂真淵共に神に関係深い方が大仰の里を湯都盤村とされ尚同門の荒木田久老も大仰をそれにあてています。

尚真盛上人を通じて松阪とも深い間係があります。現在の松坂白粉町にある来迎寺です。(国宝指定)伊勢国司北畠材親が外宮内宮の乱で出兵したので真盛上人が極諌なされました。国司はそれを容れられその後上人に帰依し一寺を細頚(松坂市松崎町)に建て真盛堂とした。永正十年(一五一三)津の西来寺三世盛品上人を迎えて第一世とした。年号を定め教主山来迎寺となした。(詳しいことは、三重の文化財県民グラフ第一五二号)このように本居宣長や真盛上人を通じて松阪市とは神の御縁が深く、大仰の権現淵、蛇山といい大仰の地全体を地霊が守る不思議な村です。蛇山は中国では高冠山また高観山と呼ぱれています。蛇山と亀谷は大仰の水の神・寿命の神が鎮座せられ神聖な最貴の土地であります。(伊勢神宮暦の中に方位で示されています。)此の祖先が残された立派な自然を守りましょう。本居宣長は蛇山のことを蛇身(かみ)・蛇霊・龍神と教えられています。

終りに万葉巻一-ニニ「ゆづ盤村について」
此の旅は十市皇女が勝手に気晴らしのため参宮したのではありません。天武天皇はその四年に十市皇女・阿閉皇女を、朱鳥元年(六八六)多紀皇女・山背姫王石川夫人をそれぞれ現在の斎宮(当時は伊勢神宮はまだ五十鈴川へ遷御なされていませんでした)へ天武天皇がお遣わしになりました。
本居宣長の菅笠の旅も大仰を通って現在の初瀬街道を十市皇女が旅せられたと同じ道をそのまゝ吉野へ旅をされました。
本居宣長は大仰より西と「(馭戎慨言=からおさめのうれたみごと)」いうていられます。
「宣長も真淵もともに大野木の磐をうべなへど横山をいはず」
でも「ゆつ岩村」は一つです。どこにでもあるではしようもありません。万葉の謎を解くことは日本文化の謎を解くこととなります。私はゆづ岩村は大仰と推測しますが確証ないかぎり永遠の謎となります。その確証を見出すまで蜘蛛が大きく網を張り獲物を得るようにあらゆる広い視野で健康の許すかぎり急ぐな焦るなで執拗に捜し求むるまでがんばりたいと思います。


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