戦時中の手紙


謹啓
厳寒この候、愈愈御清適の段奉慶賀候。
偖(さて)御令息様には
去る十二月一日京都留守隊に派遣第二中隊要員として勇躍御入隊、十二月八日屯営出発、
同九日宇品より乗船、十日朝鮮釜山港着、翌十一日釜山発、汽車行にて任地齊齊哈爾へ、
北の長途の船車輸送も平穏無事に十五日午前十時三十四分勇姿凛々しく御安着被遊候。
其後引続き演習に内務に熱心に勉励致し居られ候間何卒御安心被下度候
次に当地の左に概要申上候
目下気温は茲十数年来なき温暖の由に候へ。共夜間最低摂氏零下十五度乃至二十度附近
昼間は零下五度乃至十度附近に有之候。内地に比較致し候へば相当の寒さに有之候へ。
共所謂三寒四温と申し候へ。三日間寒く
次の四日間は温暖に有之暮しよし候。兵営は煉瓦建に重窓暖房装置(ペーチカ)附の立派な
室内は恰も春の如く(華氏六十度乃至七十度)心地よろしく加ふるに防寒被服
の完全なるもの支給致され居候に附室外に於ても風なき日の日中はさのみ凌ぎ難きことは無之候。
然れども不注意による感冒或は凍傷に罹らざる様には十分注意致し居候。
尚給与の方面も適当に実地致され居り何一つ不便不足は無之候。之等の点、決して
御懸念被下間敷く願上候。
当地は冬は日中短く只今にては日出は午前七時二十分頃日没は午後三時四十分頃に有之候
(夏は之と反対に午前三時頃より簿明となり午後八時過迄室外に於て新聞が読み得る程度に有之候)
当齊齊哈爾は人口十二萬内邦人約5000人居住致し居り治安の維持は北満にては最も良好に有之候
御互に昭和十年十一年の非常時局に直面し重大なる責務を有し居候こととて中隊一同
和衷協同肝胆相照し共に精神を練り武を鍛へて国防第一線に立つ皇軍の中堅代表として
十分なる活躍を致し以て皆様の御期待に副い奉り度及ばずながら日夜努力罷在候
申すまでもなき儀乍ら第一線に勤務致す者にとりては後顧の憂なからしむる事が何よりに有之候
御家族に於かせられても十分此点に御留意被下不断の御声援を御願致すと共に若へ
御心配事等相生じ候て御本人に御通知の節はなるべく小官にも併せて御洩し被成下度
然らば時局上休暇帰省等は到底不可能に有之候へ
共出来得る限りの御力添は致し得て好都合かと存じ申候
尚御参考迄に御来信の書式及聨大隊長及中隊幹部の官氏名を書添へ申候
乍末筆向寒の砌折角皆々様御自愛専一に被遊度奉祈上候
先は右御令息様御安着の御報知を兼ね当地の概況申上度如斯御座候 敬白
昭和九年拾貮月廿日
野砲兵第二十二連隊第二中隊長  都築次郎兵衛

辻井与三松 殿


満州国齊齊哈爾
  畑部隊第二中隊

    何某
切手  軍事郵便

ハガキは之に準ず

職            官    氏名   
連隊長         砲兵大佐 畑 勇三郎
大隊長         砲兵少佐 武井 統詳
中隊長         砲兵大尉 都築次郎兵衛
中隊附初年・二年兵教官 砲兵少尉 秀川 壽雄
中隊附初年兵教官    砲兵少尉 八木 安一
中隊附         特務曹長 宇多 冶吉
中隊附         曹長   熊谷 義男
中隊附         曹長   北坂 強
中隊附         曹長   大隈 正信
中隊附         曹長   瀬戸 孫七
第一内務班長      軍曹   今田 勲
同班附         伍長   鎌倉 岩太郎
第ニ内務班長      軍曹   林  貞夫
第三内務班長      軍曹   有村 兼蔵
同班附         軍曹   川端 誠太郎
第四内務班長      軍曹   服部 範正
同班附         伍長   長谷川 勲
第五内務班長      軍曹   井上 俊一
同班附         伍長   宗林 正一
第六内務班長      軍曹   山本 松雄
同班附         軍曹   久保 孫助

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